昭和48年10月10日 月次祭



 おかげを頂きまして、教祖九十年の記念のお祭り、会堂落成報告の御祭り、併せて御本部で執り行われました、四日七日を合楽二部に分けての御参拝も無事に滞りなく、もう本当に今度の御本部参拝が、一番有難かったと一部の方達も二部の方達もそう言うておられます様なおかげをいただき、帰らせて頂きました。その後が今日それから十三日そして十六日あと三日間の御大祭が、御本部に於いては行われる訳で御座います。
 その最後の十六日の御大祭が終わると同時に、もう本当に終わると同時に、合楽でその教祖九十年祭、また会堂落成報告のお祭りが執り行われるので御座います。御本部の御大祭はご承知の様に、九時半からそして十時半に終わる。その十時半からのお祭りを、もうそれこそそのまま引き継ぐ様にして、合楽でそのお祭りが仕えられる訳であります。十時からですけども、十時からと言うのは、あの霊神様へのご挨拶がありますからね。皆さん十時に来ますけれども、本当の神様へのお祭りは十時半から。
 して見ると御本部の大教会所で、教主金光様がご奉仕下さる、そのお祭りをそのまま、合楽の上に、ゴヒレイを頂いてのお祭り。今度のはただ教祖大祭というだけではなくて、教祖九十年の記念の大祭。同時に私共が願いに願わせて頂いておりました、本部広前会堂落成の報告の、言わば御礼のお祭りをさせて頂く訳で御座います。皆さんももう随分前から、その御大祭の事に付いては、それぞれにご修行をなさっておられる事と思いますけれども、どうぞその御大祭へ向わせて頂いての信心と言う物が。
 唯御大祭を拝めば良いと言う事ではなく、ね。そういう有難いお年柄を機として、また一段と私共の信心が佳境に入って行くと言うか、一段と進んで行くおかげを、そういう大みかげを蒙りたいものだと思います。今朝からの御理解に、桜の花の信心より梅の花の信心をせよと。梅の花は長う苦労しておるから花も散らない。桜の花はぱっと咲くけれどもすぐ散ってしまうと。そういう意味の御理解が御座います。桜の花の信心より梅の花の信心をせよと。桜の花の信心がいけないというのではないけれども。
 梅の花の信心をしなければいけない。それよりも梅の花の信心が尊いのだと言う事で御座います。今日午前中はこのご信者さん達の結婚式が御座いましたから、午前中はまぁ大変賑やかな事でした。午後の奉仕をさせて頂いておる時でした。もうこ一年にもなりますでしょうか。秋永先生のお導きでお参りをして来る、福岡からのご信者があります。始めの間は唯、お願い、またはお伺いに参って来る。まぁ今でもほんなら事はないけれども、今はこの頃お参りをして見えると、必ずあの御理解を頂いて帰られます。
 今日はお礼参拝でした。この頃からご親戚で、もう医者も首をひねると言うぐらいの、もう重病人が御座いました。それで私が言うた通りにさせて頂きましたら、もう本人もたまかり、不思議なくらいな大みかげを頂いて、健康にならせて頂いたと言う、お礼のお参りがございました。同時に、この前お参りをしておりました時に、金銭のお繰り合わせの事を願うておりましたら、もうそれはそれは、不思議な不思議な、それこそ天から降ったか、地から湧いたかという様な、お繰り合わせの中に。
 それも随分纏まった金額がお繰り合わせを頂いた。本当にこの神様は、不思議なお方。身体だけの事ではない。金銭だけの事ではない。人間関係、様々な問題の上にです。もう本当に神様がお働き下さっておる。私共の様な信心の素人でも、そう思わなければおられない程しのおかげを蒙っておりますと言うのです。それから一時間ばっかりしましたら、また福岡から参ってきた。こら博多から最近、時々参って来られる、まぁいうなら女親分の様な方、満艦飾というですかね。
 宝石のもうありとあらゆる宝石を身に着けておられるです。今日私はあんなのを始めてみましたが、あの黒真珠のこのネックレスですかね。ほらもう見事ですね。ほらもう手にはもう、あれはダイヤち言うとじゃろうかな、もうそれこそまぁ身に着けておられるだけでも、相当なものじゃろうと思うような。もう年の頃ならやっぱし、若うしておられても、六十にもなられるかも知れません。
 とにかく魚市場の女親分だそうですから、やっぱ親分でしょうね。そんな物の言い方でもそんな方です。先日もお参りをして見えて、最近はあの公害問題で魚が大変売れ行きが悪くなった。それでお願いに見えて、東京へその販路を広げたいと言うので、東京の何軒かのデパートに売り込みにお出でられて、それが全部成功したと。明日はもう東京一のデパートと言われる、三越に交渉に行くのです。それで今日先ずお願いをして、ここの御神米を頂いてやらせて頂こうという訳で、今日はお参りして見えました。ね。
 私は今日今朝から、まぁ新たな天地というか、所謂桜の花と梅の花との信心の事に付いての、神戒を受けまして、成程そうだなと思わせて頂いた事はです。例えばお願いをする、おかげを頂いたと言う様なおかげが、私は桜の花の信心だと思うですね。こりゃお願いをしたおかげを頂いたけれど、是はね必ず散るんです。そら咲いた花は必ず散るのが定めですけれどもね。咲いて散ってそして実が実るというのが梅の花の信心。ですから梅の花の信心と言うのはです。
 例えばお互いがそう言う所から、入らせて頂きます。まぁ痛ければ痛い痒ければ痒いでさすっても貰う掻いても貰う。そうおかげを頂かねばおられない事があるのです。本当に地団太踏んでお願いしなければおられない事がある。痒ゆかなら掻いてもらわなければ、もうたまらん事があるけれどもです。それは矢張り桜の花の信心。その痒かろうけれども痛かろうけれども、それをじっと辛抱させて頂いて、その辛抱させて頂いておるうちに、丁度梅の花がね。十二月から一月にかけてあの寒の中にですね。
 固いつぼみを段々膨らんで参りますと、それこそなんとも言えん、馥郁とした香りが辺りに漂うて来る様な程しのもの。私共が成程痛い事は痛い、痒い事は痒い苦しい事は苦しいんですけれども、そこをじっと、生神金光大神様を唱えての、信心辛抱であり、御教えを頂いての信心辛抱であり、あぁ是じゃ、成程私がおかげの頂けない筈だ。是では徳にも力にもなるまいと、分からせて頂いての辛抱だ。
 だから人間が変わって来る。心も改まって来る。そして人間が二人見る様な、何とはなしに人間所謂信心の香りが漂う様な、その期間が大事なのである。そこに花も咲くであろう、また鶯も来て止まるであろう。ね。そしてその花が実になって、梅干になると言う様なお徳を受けて行くと言う。そういう信心が梅の花の信心だと、今朝から頂きました。ね。ですから今日私、今秋永先生のお導きでお参りして来ておるその方。
 今博多の魚市場の女親分と、まぁ思われる方のご信心。ま是はね、だからそういう新たかな神様の、一つのヒレイに触れてね。お徳に触れておかげを頂く。そこからです段々私は信心が、所謂本当な信心を求め、願うて行く信心にならなければならない。また神様もそれを願い、求めて御座るので御座います。ですからその求めて御座る印が、段々私共の身辺にも現れて来る様になります。
 只今お祭りを仕えさせて頂く前に、北野の上野さんの奥さんが、お届けをしておりました。あの上野さんです、あの自転車屋さんですね。上野先生の弟さんの嫁さんです。所謂恵子さんです。恵子さんち言うた方が良かごたるですね。上野さんの奥さんてんなんてん言うよりか。はっはは、所謂恵子さんのお届けであります。それがね今朝方から、不思議なお夢を頂いた。私がなんか信心の共励ば、会合のあっておる所に沢山集まって、共励をしておる所にやらせて頂いた。
 所が後ろから、此処の私共の一番下の栄四郎、今高校に行っております。その栄四郎君が後ろから来てからもう、髪を引っ張ったり、後ろからこうこう、何かもう打ちくじったりするそうです。もう本当にもう折角、信心の稽古に来ておるとに、せからしかち思いよる。そしたら横におった人もです。まぁこの栄四郎ちゃんばっかりは、もうちゃんと悪そうして、私はもうこげなこつなら、信心やみゅうかち思いよる。
 はっははは、(笑い)もう、私もこげなこつならいっちょ、親先生に申し上げちから、こげな悪かこつさっしゃらんごつ言わにゃ出来んと言いよる所で目が覚めた。ね。あの栄四郎が生れます時に、あのお届けをさせて頂いたら、栄える城と頂きました。だから、栄四郎と言うのですから、栄城と大体言うのですけれども、あれが四番目ですから、やっぱその番号を打っておかんといけんと思いましてからねもう。
 はっははいや私の方は、三郎でしょうが。それから英二もうこりゃこげん次から次出来るなら、番号うっとかにゃ間違うと思いましてから、私は本当にそういう気持ちでね、三郎から次は四郎、その城を、この一二三四の四にしました。栄四郎と。本当は栄城なんです。ね。大きい坪に大きくその、城が栄えて行くと言うおかげ、ね。折角例えば信心を分からせて頂こうか。共励会の一つに出て行こうか。
 とても是をです信心の薄い者、無い者が見たら、それこそほんに金光様の信心も、金なしには出来ん、暇無しには出来ん、とてもあげな真似は出来んと、言わば此処で一生懸命稽古しておる人達の姿を見たら、思うだろう。また言うておるだろう。ね。けれども信心が、段々身に付いて行くごつなる時には、もうそこにお金が、例えばかかろうが、暇がかかろうが、それが楽しいのであり、有難いのである。
 折角心が神様に向こうたから、それがほんならスムーズに行くかというと、そういう本気で信心を分からせて頂こう、本気で梅の花の信心をさせて貰おう。本気で、お徳を受けさせて頂く信心をさせて頂こうと、意欲させて頂く頃になりますとです。そういう後ろから髪を引っ張ったり、なんか知らんけどせからしかという様な、ね。様な事柄が必ずある。それを教祖様は、信心が実が入って来ると、必ずお試しがありますぞと、ご晩年の頃は、参って来る信者を捕まえて、仰ったと言う事です。
 だからその辺の所を、行ったり来たりしとったんじゃいかんです。そこら辺の所をです。例えば後ろから、後ろ髪を引っ張れる様な事があっても、後ろから少しはいたずらをされる様な事があっても。本当に神様ばっかりは、皮肉だなという様な所が御座いますけれども。それこそ自分の信心が、本気で神様へ向こうて来たんだ、身が入ってきた印だと分からせて貰うて、そこを稽古です。とてもとてもです、あの世にも持っていけ、この世にも残しておけると言う程しの事なのですから。
 そんななまじっかな、唯今日先程二人のお届けをさせて頂いた方ね。それこそ医者も首をひねる様な病人が助かってね。本当に不思議でたまらんと思うくらいにです。私ぐらいな、言わば福岡の女の商人が、東京に堂々とほんなら、大きな商売をしげ行って、その商売をまとめて帰って来れれると言う事は、とても神様のおかげを頂かなければ出来る事ではないと言う様なおかげをですね。
 受ける事はいけない事ではないけれども、それは矢張り桜の花の信心だと。それは必ず散るね。だからそこの所をです、そういうおかげも頂きながらです。愈々梅の花の信心を、此処は梅の花でと言う所は、梅の花の信心をもって、お互い進んでいかなければならぬ。ね。それは梅の花の信心といや、まぁ簡単ですけれどもですね。寒中にじっと耐え忍んでおるというだけでも、それは大変な事であります。
 けれども愈々信心の心が、言わば熱して来ると申しますかね、そすとこういう寒い、例えば冬の日にです。こうい、汗の出る様なおかげも頂かれる、ね。冬は寒い寒いとばかり思うておったが、唯じっとしときゃ、凍えてしまおうごたる中にあってもです。汗の出る様な生き方、あり方があるんだと言う事を分からせて貰い。其処からですね。信心辛抱の徳が身に付いて来る喜びを味合うて行きたい。
 今度の、十六日の御大祭も、色々問題がありましたのですけれども、おかげで十六日に、お祭りが奉仕されることになった。今度は、鹿児島の行徳先生が、お話に来ていただくことになりました。丁度十六日が大変忙しいお方ですけれども、お願いしましたら、丁度十六日が空いておった。十五日から、お見えるそうです。先生がこの前の、此処の記念祭の時、お出でて頂いてから、一杯御直会を頂かれて、そしてその後に言っておられた事は、もう此処ぐらいお話のし難い所は無いと言われた。
 どう言う訳だろうかと。それは疑問のまま、言わば私も、それに対してどうと、もうとにかく、私の方の信者は、頂く姿勢頂き方が良くないから、お話が良くスムーズに出て来んのでしょう。と言う様な意味の事でおりましたが、それから帰られまして、四五日してから、分厚い手紙が参りました。そしてその時に、此処から記念品に出しておりました、和賀心時代というご本を、まぁ読むともなしに読ませて頂いておった。
 所がですね。あの本をもうそれこそ、一気にむさぼるように読んだと、手紙にありました。成程是ではね、私の話が受けなかった、私の話がし難かった筈だと思うたと言う事が、お手紙に書いて御座いました。ね。あの皆さんも繰り返しお読み頂いたと思うのですけれども。あの和賀心時代と言うのは、言うならば今日までの、私のまぁ言うなら、自叙伝である。私の信心の歩みである。
 私の信心の発祥から、そして今日までの事が、何時間ですかね、まぁ時間にすると、五六時間になりますでしょう。私が和賀心時代を作ると言う所まで、そすと六時間になるでしょう。にも、時間をかけて、青年教師の方達に、聞いて頂いたお話を、そのままあの和賀心時代を作ると、言うご本にしたのです。だから私の一代記を話して、聞いて頂いた訳です。それを行徳先生は、ほんならそれを成程、読ませて頂けば、思い当たる事ばっかりなのである。
 子供の時には私よりも二つ三つ上ですから、何ですけども言わば私共の幼少時代からを知っておられる訳なんです。成程椛目の大坪は、あぁだったなこうだったなと言う事が、段々分かられる。そして色々言われて来た時代の事も、本に書いて御座いますからですね。それを読みあれを読ませて頂いて、大坪さんあんたの修行時代は、あれ程しの事であるとは知らなかったと。あの本を読み出したらもう一気に読んでしまった。
 是では私の話がし難くかったはずだ、受けなかったはずだと言う事を思うたというお手紙でした。私は行徳先生は、偉いと思いました。それをはっきり手紙の中で仰った。それで私は思うのに、今度はですそういう合楽の信心をふんまえての、信心は大変高度な信心を持っておられるしね。お話も上手ですし今度は有難いお話が頂けるもんだと思うて、まぁ期待させて頂いておる訳で御座います。ね。
 ですからどうでも一つ、この十六日の御大祭を、愈々教祖九十年記念の御大祭に相応しいお祭りをです、奉仕させえて頂たい。みんな、一緒にそのお祭りを頂きたい。ね。そしてこの御大祭を境に、只今一段と信心を、所謂梅の花の信心に向かって精進して行きたいと言う風に願っているので御座いますから、皆さんもどうぞ一つ桜の花の信心も、なさって良いです。
 けれどもそれに留まらずに、梅の花の信心に愈々、ふんぎらせて頂く。その梅の花の信心に、ふんぎらせて頂きますとです。そこには必ず障害がある。ね。それは信心に実が入って来るから、神様が試して下さるのだ。ね。そういう頂き方をもって、信心を愈々、高度な物に高めて行かせてもらう。あの世にも持って行かれ、この世にも残しておかれると言う程しの信心を頂きたい物だと念願いたしております。
   どうぞよろしくお願いいたします。